いよいよ師走。
坊主頭(ソフトモヒカン)のわたしですが、今回小川洋子さんの講演があるという事で、大阪までバスで走っていったので、参加レポートです。

いつもと違う、人・場所・本ーー知を求めて遊読する三千世界。

3rd Nomado(サード・ノマド)♯5

時:2016年12月3日(土) 13時00分〜14時30分
場所:関西大学 梅田キャンパス

今回参加したのは、公益財団法人日本文学振興会のオープン講座「人生に、文学を」です。
日本文学振興会とは、芥川賞・直木賞などの文学賞を主催・運営する公益財団法人で、今回のようなオープン講座は、もっと作者・作品の世界と読者を結びつける「場」が必要なのではないか、という思いによりはじまったそうです。
そして、その「場」を作るには会場ももちろんですが、「お金」も必要ーーという事で、多くの企業のスポンサーのもと、抽選ではありますが「無料」で参加できるイベントとなっています。

 

さて、今回のオープン講座の存在をしったのは、11月上旬でしたでしょうか。
読書会なんかで声を大に「小川洋子さんが好き」「恋している」「文壇のアイドル」と叫んでいるわたしですので、熱いメッセージを添えて申し込みました。申込締め切りから日程が経っても当選案内がないため、落選したと思っていたところ、通知が来たので、ほんとうに嬉しかったです。

 

今回は、講演ではなく、講座。参加者にはあらかじめ2冊の課題図書(小川洋子さんの「ことり」と生物学者・岡ノ谷一夫さんの「つながりの進化生物学」)の読了が義務つけられました。これはあえてハードルをあげる事により、相互のコミュニケーションと、理解を深める狙いがあるそうです。

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どのように「ことり」という作品が生まれたかについて、3つの流れで説明されました。

 

①ローカルテレビで「ことり」の終盤に描かれるような、メジロの鳴きあわせ会の盗撮(メジロは野鳥のため、飼育する事は禁じられている)を見て、不穏でいかがわしいものを感じたーー法律違反というものもあるが、自分の手の中で小さな命を操る人間の征服欲的な側面ーーとともに、トーナメントにのぞむ好事家たちが、合戦がはじまるときに竹籠の布をさっとめくる様式美が目に残った。

 

②好きな人と対談できる機会を得て、生物学者の岡ノ谷さんをリクエスト。飼育されているハダカデバネズミがお目当てだったが、研究室で美しく鳴くジュウシマツに魅せられた。
ジュウシマツのオスは美しく鳴かないと、伴侶を得られない。子孫を残すという目的のために一生懸命練習する。
そんな中、研究室にいた、最も美しく鳴く一羽は、メスに見向きもしないーー自分の声がどうすればもっと美しくなるかーー目的が、子孫を残すという事よりも、自己の向上にすりかわっている。
ここに「芸術」あるいは「天才」の起源を見たような気がした。もしかしたら彼ら小鳥は人間が「ことば」を獲得したがために失ってしまった何かを持っているのかもしれない。

この段階では「ことり」に登場する、小鳥の鳴き声しか発声できない「お兄さん」の存在はおぼろげな像であった。

 

③NHKのある番組で、ワシントンの美術館で開催された展示会の様子を見た。
戦争時に、強制収容所に入れられた日系米国人が木屑などのわずかな材料で作った様々な道具が紹介され、そのなかに小鳥の形をしたブローチがあった。

これを見た時、小鳥のさえずりと小鳥のブローチが結びつき、「お兄さん」の姿がはっきり見え、はじまりの1行が生まれるそうです。

小説と言葉という点からも、

素晴らしい小説を読み、未読の人に説明するのは難しい。
あらすじなんかを細かく説明すればするほど「感動」からは離れてゆく。
もしかしたら我々は言葉「で」書かれている小説を読んで、
言葉「が」存在しない世界に行っているのかもしれない。

思わず人間が鼻歌なんかを口ずさみ、ずっと同じ音楽が頭の中で繰り返されるといった症状について、
人間が狩猟をしていた時代、野生動物の発する音が生命に直結していたので、一度聞いた音を何度も頭の中で再生する事によって記憶していた。
このような症状を「レナードの朝」などを記したオリバー・サックスは「脳の虫」と名付けた。
・・・レナードの朝といえば、アルジャーノンに花束を語られる際にあわせて登場する作品なので、思わぬ読書会とのリンクに「おっ」となりました。

人間は感情によって様々に顔の表情が変わる。
だが、「目が笑っていない」というように、笑いの演技をしても目まで本物の感情にあわせる事は難しい。
相手を表情のみでは騙すことができないから、言葉で騙す=「うそ」の発生。

人間が言葉を手にする事で「過去」「現在」「未来」といった「時間」の概念を手に入れた。
そして、自分の時間の終わり「死」というものも知り、それを受け入れるための「物語」を生み出した。
河合隼雄さんのエピソードをまじえ、人が死んでタンパク質やあれやこれが分解されと、事象をくどくどと述べるよりも、風になってあなたの隣を優しくそよいでいますよ、と物語にする事ですっと死を理解しやすくなる。

そもそも小説は「うそ」でできている。非合理的な設定や人物であろうと「本物」の小説であれば我々は感動する。

タイトルはわざとひらながで「ことり」にしている。
小鳥の意味もあれば、子取りの意味でも受け止められるし、パっと見で「ひとり」と思う人もいるかもしれない。
わたしなんかもこの講義を聞いたことで「ことば」にも「さとり」にも変換できる、ルービックキューブのような印象を受けました。

往復6時間かけて、あっと言う間の1時間30分の講義を受けたわけですが、おつりがくるぐらい濃密な時間を過ごさせてもらいました。
小川さんが最後に「皆さんが帰りに1冊でも2冊でも本を買って帰りたくなり、その本と一緒に明日の日曜日を過ごしてくれたら嬉しいです」といった内容の言葉でしめられたのが非常に印象に残っています。

壇上の小川さんの傍らには、過去に担当編集だったという文芸春秋のOさんという男性の方もいらっしゃいました。小川さんが「チェスの小説」もこの方と一緒に作ったとおっしゃっていたので「猫を抱いて象と泳ぐ」の作者と最初の読者というわけですね。

わたしは今年の4月に「猫を抱いて象と泳ぐ」ではじめて小川洋子作品を読み、10月にも神戸外国語大学の朗読会に参加したりと、「ファン」になっているわけですがーー1冊の本との出会いが、私生活に影響を与えたりするあたり、小川洋子の小説はとても優れていると思います。

とにかく推している「猫を抱いて象と泳ぐ」ですが、細かいあらすじをいくら述べるよりも作品の末文
「アリョーヒンの名に相応しい素晴らしいチェスを指しながら、人形の奥に潜み、自分などはじめからこの世界にいないかのように振る舞い続けた棋士です。もし彼がどんな人物であったかお知りになりたければ、どうぞ棋譜を読んで下さい。そこにすべてのことが書かれています」
がすべてをあらわしているような気がします。

最後に・・・今回のような講座を開いてくれた文学振興会、賛同して会場を提供してくれた関西大学と協賛各社、そして小川洋子さんに感謝の意を表します。

レポート作成:はじめ

天を貫くビルのキャンパス!

天を貫くビルのキャンパス!

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1FがTSUTAYAとスターバックス。 学食兼図書館的な利用で、おそらく英米文学について語り合っている学生さんのグループなんかが羨ましかった・・・。

1FがTSUTAYAとスターバックス。
学食兼図書館的な利用で、おそらく英米文学について語り合っている学生さんのグループなんかが羨ましかった・・・。

梅田界隈は大型書店たくさんで楽しかったです。腰は砕けましたが。。。