開催報告9
11月20日。
今年最後になる、課題図書型読書会2nd Memory が下記の内容で開催されました。
課題図書:「アルジャーノンに花束を」
会場:珈琲哲学高松店 14時ー16時
参加者:6名(男3・女3)スタッフ含む
有名すぎるタイトルゆえ、知能が低い青年が手術で天才になって、また知能が低下する、という概要は知っていても、じっくりと読んだ事があるという人が意外に少ないこの作品。
主人公であるチャーリーは、手術でIQが70未満から180オーバーまで跳ね上がり、自分をそのように「改造」した大学教授たちよりも賢くなってしまいます。
かつて愚鈍ながらも優しかったチャーリーは、社会性が知能の急上昇に追いつかず、他者を見下す嫌な性格に変貌するも、再び知能を失う運命を受け入れ、やがてーー。となるのがこの小説。
小説的な技法としては、すべてチャーリーが書いた「経過報告」という体をとっており、手術前ではひらがなの多用や誤字脱字、文体の支離滅裂さで「知能の低さ」を表現し、じょじょに知能があがっていく毎に漢字や難しい言い回しが登場し「知能の向上」を表現。そしてまた知能が低下してゆくとともに文章も初期の状態へと戻ってゆく。ひらがな・カタカナ・漢字。同じ音でも3つの表現形態を持つ「日本語」がピッタリとマッチングし、広く日本の読者に受け入れられたきっかけのひとつとされています。
物語の内容では、参加者の皆さんも、やはりチャーリーへの思い入れが強かったようで、残り時間を悟ったあとのあがきや、知能の高低差の振り幅に言及がなされました。
わずかな期間で一生分の経験をした、という意見もあり、最後の自分が知能が低下しきった後にお世話になる施設を見学に行く様子などは「終活」とも捉えられますね。
「知能の高さ」という観点からは、生まれつき高知能に恵まれたギフテッドの子ども達などもチャーリーと同じような、自分の考えている事を周りが理解してくれない苦しみ=近代人の孤独があるのではないかという意見もあり、
逆に「知能の低さ」をチャーリー本人ではなく、その両親の観点から考えると、障害をあるがままを受けいれる父親と、どうにかして「普通」にしようとヒステリックになる母親、両者の考える「チャーリーにとっての幸せ」の違いが産む悲劇についても議論がなされました。
脳への外科手術という点から、医療にも話題は発展し程度の差はあれ「よくなりたい」という思いからの手術や、仮説の証明のために人体実験ギリギリレベルで過去の医療従事者が行った実際の事案なども紹介されました。
また、この作品が日本に与えた意外な形として、ミュージシャンの氷室京介が作品に影響を受け「DEAR ALGERNON」という楽曲を作成している模様。youtubeで検索をかけると聴けます。
タイトルにもなっている、チャーリーと同じ手術を受けたアルジャーノン。自分と同じ道を、一歩先をゆく先達であり友達であり同胞。あまり登場するシーンも少なく、退場するシーンもあっさりしている、という指摘もなされました。
チャーリーにとっては分身とも呼べる存在ゆえ、そのロス感はつらいものだったと思われます。
作中に何度も失楽園のエピソードが挿入された事もあり、知恵の実=人間が踏み込んではいけない「神の領域」を侵犯した者として、アルジャーノンとチャーリーに下される「罰」。
個人的な意見としては、アルジャーノン以前の手術を受け失敗したネズミやアルジャーノンが死んでしまった事例から、チャーリーにもやがて早すぎる死が訪れるという考察もありますが、チャーリーはパン屋で働き続ける未来があってもいいのではないか、と思います。
ついしん。
どうか、ついでがあったら「日本語版文庫への序文」だけでも読んでみて下さい。彼女、彼らもまたチャーリー・ゴードンなのである。
レポート作成:はじめ
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