年度も改まり、二輪やオープンカーで走行するのが気持ちいい小春日和、課題図書型読書会2nd Memory(セカンド・メモリー)が下記の内容で開催されました。桜は来週あたりに咲きそうですね。

課題図書:「博士の愛した数式」
[amazonjs asin=”4101215235″ locale=”JP” title=”博士の愛した数式 (新潮文庫)”]
会  場:珈琲哲学高松店 14時ー16時
参 加 者:7名(男2・女5)スタッフ含む

 

小川洋子作品は昨年夏に開催した「猫を抱いて象と泳ぐ」以来です。
この読書会で同一作者の作品を取り上げるのは今回が初!

 

そして今回も初参加の方を2名お迎えしての開催でした。
読書会の参加自体が初めてという方もいれば、他の読書会には参加した事があるという方も。異なる年代や思考の持ち主が、同じ作品を読んで同じ場所に集う。出不精な私にとって、読書会とはある意味アウトドアな一面があると思います。(ドア・トゥー・ドアではありますが。。。)フレッシュな感性を重視しつつも、私はコーヒーはブラック派です。コーヒーフレッシュという言葉、転勤で訪れた関東圏の人は理解できるのでしょうか。

 

・・・さて今月、「本屋大賞」の発表があるため、第1回の受賞作という事での選書でした。
また、春は人事異動の季節です。職場やコミュニティなんかで去ってゆく人、新たに訪れる人など。
この作品は、組合から派遣される家政婦の「新しい職場」での出来事でもあります。物語も4月からはじまるので、新しい職場や新しいクラス、誰にとっても「いま」読むべき本としてタイムリーといえばタイムリーかも?

 

物語の主要人物は「わたし(家政婦)」「博士」「ルート」の3人ですが、彼らの関係性についての意見として、

 

仲が良くていい、ほのぼのしているーーこれは共通認識として、ほとんどの読者にあてはまると思われますが、ここから

①「わたし」と「博士」
②「博士」と「ルート」
③「わたし」と「ルート」のように差し向かいの関係になると、

 

 

①雇用関係以上に「わたし」が「博士」に好意を抱いていったのか?(恋愛小説として読んだ場合)
「わたし」自身が父性を知らずに育ったがゆえに、向けられるのは憧憬的な「愛」なのではないか。
博士が「美しい異性」として認識したのは、野球観戦に赴いた先の売り子さん(一目惚れ)のみーー最初から博士の方からしたら「わたし」へ特別な感情は無い。感情が芽生えようにも80分しか記憶が保たない以上、特別な関係にはなりにくい。(たとえずっと一緒にいれたとしても、80分以上睡眠を取ってしまえばリセットされる)
しかしながら、「わたし」の誕生日2月20ーー220と、博士が学長賞で賜った時計に記された284、「友愛数」を絡めて「わたし」が「友愛の契りをかわした」と言うあたりの言葉に、どこか性的な連想も。

 

 

②シングルマザーの母を持つ「ルート」にとって「博士」は父性の象徴的なものか? 子どもを大事にするには失われた過去に何かあるのか?

性的な意味ではなく「愛」のある間柄=古代ギリシアの賢い美少年に叡智を授ける大人、プラトニックに「愛」を語り合う関係への想起も指摘されました。

言われて見れば、新しい「宿題」を授ける博士とルートの関係は言葉のキャッチボールですね。博士から誕生日プレゼントにグローブを貰ってからは、同世代の友人だけではなく「博士=大人の男性≒父親」とキャッチボールするという経験も短い間ながらルートは経験でき、遺伝的なルーツである実父とは異なる数学教師の道へと進んだのは、この10歳の時の博士との交流が大きな指針となっているわけでーー参加者の方の多くが「こんな先生に数学を教わりたかった」という感想を抱いたようです。

 

 

③鍵っ子のルートだが、上手な育て方(すれていない)をされている。

・・・10歳くらいの年代の子どもだと、質問に質問で返したり、揚げ足取りに夢中になったりしたりするものですが、ルート君は創作物のキャラクターとはいえ、やっぱりいい子ですね。母親の経済的な事情を知っているからこそ、内罰的にカードのおまけがついているお菓子を欲しがるような感情を排していたり。

だからこそ、母親が大枚はたいて阪神戦のチケットを取ってくれた事や、博士に贈られたグローブの重みを知っているわけで。あー、小遣いあげたい。

 

物語のキーとなる「数学」についても、数学は嫌いだけれど参考文献に登場する「数学者」は好きといった意見を皮切りに、世界の著名な数学者、数学界の話、数学者の感じる「美しさ」は「純文学」に通ずる、解けるか解けないか(1か0か)、1つだけの正解にたどり着く潔さなども話し合われました。

 

個人的には文学の魅力は人によって「面白さ」というゴールは同じでも、それに至る諸氏の考え(読解)が異なり、さらに突き詰めればどこに「面白さ」を感じるかも人それぞれといった所だと思います。

 

 

最後の方は純文学というジャンルから派生し、安部公房や村上春樹の話などで盛り上がりました。最新刊「騎士団長殺し」てっきり神算鬼謀蠢く中世モノかとタイトルだけで想像していたら違うみたいですね。図書館の予約待ちがすごい人数になってますが「いつか」読んでみたくなりました。

 

かくして120分の読書会は無事終了。大丈夫、わたしの記憶はもった!

 

小川洋子さんの誕生日は、つい先日の3月30日。おめでとうございます!

そしてエッセイなんかを拝読すると、母方の実家が香川県で、学生時代にも香川出身の友人宅に長期休暇に訪れてたりと、香川県とまんざら無縁でもない方です。これからも応援しています。

 

来週4月8日に倉敷市大原美術館で開催される朗読会の盛会をお祈りしています!(当選ハガキ来ないので落選でしょうが、来年こそは行きたい!)

 

映画、2006年の1月ロードショーだったんですね。
あんまり皆さん今の年齢と見た目変わんないような?

作中で博士が信奉する「阪神タイガース」をイメージして虎ジャージ。
目指せ、読書会の「1」ロー。

 

2016年10月 神戸外国語大学での朗読会。
一番いい刈り上げ頭の男、それが私だ。

2016年12月「人生に文学を」最前列に陣取る。
見つめ合っているように見えますが、私の真後ろの人が質問しています。

 

★次回5月は第2週・5月14日(日)14時〜 夏目漱石「虞美人草」を取り上げます。

[amazonjs asin=”4101010102″ locale=”JP” title=”虞美人草 (新潮文庫)”]

(版元は問いません。気に入ったものをお持ちください。)

今年は漱石生誕150周年にあたるそうですね。

大学教授という職を辞し、ペン一本「商業作家」として生きてゆく事となった漱石の商業作としてのはじまりの1作。

今も昔も恋に「打算」はつきものーーわがままで気が強い(讃岐弁でいうところの“がいな”)女である藤尾。親が決めた相手である兄の親友・宗近は外交官志望だが、試験に落ち続けている。そんな藤尾とその母が目をつけたのが、博士論文を提出すれば大学教授(エリート)への道が約束されている青年・小野。

だが、小野も苦学生時代面倒を見てもらった恩師の娘・小夜子と事実上の婚約関係にある。

更には恩師と小夜子は京都から東京に引っ越して来た。ちなみにまだ小野は博士論文提出していないから、正規の職にはついていない。のしかかる「いつ結婚してくれるん?」重圧。重い。重すぎる。

そして小夜子も美しいのだが、藤尾の方がさらに美しい。藤尾は自ら廃嫡して出て行きたがっている兄がいなくなれば、潤沢な財産はすべて夫である小野に転がりこむことを臭わせる。

美しすぎる妻と財産、標準的に美しい妻と義父(恩師)家への援助。この二択を突きつけられた時に、男が取るべき行動はいかに!?
これもまた、どの登場人物に寄り添うかで色々と感想が異なってきそうな面白い作品です。

漱石のセンスが光る当て字の数々。様々な文庫版や、ネットでフリーで読めますので気軽に手に取ってもらいたい作品です。

 

・・・ちなみに私が寄り添ったのは、就職浪人の宗近氏。
氏の下の名前は 一(はじめ) 。 

宗近自身も藤尾は自分の妻になるのだろうと思っているし、藤尾も「悪くはない」と思ってくれているけど、その実、彼女とのその母親は「悪くはないんだけど・・・ねぇ?」と何度も試験に落ちているがゆえに微妙な印象を抱き、裏で言いたい放題。

母親にいたっては一は、と呼び捨てときた。読んでて胃がキリキリしたりもしましたが、ラストはけっこう壮快。ゴールデンウィークにお時間のある方は是非読破いただき、参加いただけると嬉しいです。

レポート作成:はじめ